最近、自身でもさまざまなセッションを受けています。
偶然なのですが必然。
見たテーマが次から次へと展開し、それは自分やセラピストさんとのコラボでもあり、癒しの旅はおもしろいなぁ!としみじみしています。先日は長年のテーマでもある「自分への厳しさ・自分を責める声」について取り組みました。
私は昔から「自分で自分のことを認められない」感覚を強く持っていました。
何をしても、良くできても、ほめられても「でも、これはたまたま。」とか「でも、○○」とか「お世辞かな」とか。できたものを認められない、受け入れられない。常にできないところに目が行き、ダメな理由を探す、というすばらしいネガティ部長でした。
小さな頃に「ダメね、」とか「きちんとしないと」とか、親から言われていた否定的なことも大きいのですが、親は否定ばかりしていたわけではないのです。実際にはかなり褒めたり認めたり、むしろ自慢にしていたようなところもあったのですが、私のコアに「私は不完全。」という思いがしっかりこびりついていたので、ある場面になると、途端にしり込みすることもしばしば。
またビリーフは一つではないので、色々なものが重なり、その真実に思える「思い」にしたがって自分の世界、ストーリーを映し出していきます。
絶対に「これは本当」と思える思いがいかにウソかは、なかなか気がつきにくいものです。その「べき」は自分のエゴやアイデンティティを守っている場合もあるので、その鎧は簡単にははがれません。
その鎧ははがさなくても生きていけますが、私はもっと軽やかに、のびやかに生きたい。
そういう選択をしています。「自分を見つめる」のは時に苦しくなることもあるけれど、その先の「本当の自由・軽さ」はナニモノにも変えられません。
セッションでは、自分が見てきたもの、また私の中にはなくてもツールを知っているものなどを使い、「魂の自由になる道、その答え」を探していきます。動けば何かが展開していきます。今、苦しみの中におられる方、変わりたいのに変われない方。その内に向かうエネルギーをセッションで外に向けていきませんか?
心や体に合わせたメニューをご案内しています。お問合せなどもお気軽にください。
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