私の中に、あった観念。それは
「癒されていない人は癒しに携わるべきではない」
というもの。これは本当にその通りなのですが、言葉が「ルール」になった途端に
「~だ(言葉・思い)。」(この場合だと、癒されていない人は癒しに携わるべきではない。)
↓
「~だから○○すべきでない。○○している人は(私は、など)ダメだ。」
と批判の矢印が出てきます。
そしてそれは自分を苦しめる思いになります。また、自由さ、軽やかさ、オープンな感じからも離れていきます。「軽やかで、気持ちよくないとダメ」ということではないですが、選びたいかな?心地良いかな?という視点でみるとどうでしょうか^^
この観念(ルール)が自分を苦しめ始めるとき、「この思いがなかったら?」と見てみると、本当の自由と、条件から離れた安心感が出てきます。
私は、セラピストという肩書きが自分のアイデンティティになっていたので、「癒されていない人は癒しに携わるべきではない」が絶対ルールになっていました。そうでないと、「良い・正しいセラピスト」ではないし、そんな私はダメな私になるので、存在してはいけなくなるのです。クライアントさんにも大迷惑です。最悪なセラピストです。
書くと大げさですが、エゴはよくこういう判断をします。
エゴの恐れは「存在の否定(消滅)」なので、ものすごい勢いで守りと抑圧に入ります。
<エゴの動き>
「自分に自信がない=自分のことを認めていない、愛せていない私。そんな私は人の癒しに携わるべきではない。」なぜなら、そんな人がセッションをすると、自分のクセや思い、見えていないパターンを相手に乗せてしまうから。人の前にまず自分。クライアントさんは自分の力を持っているのだから、それを邪魔してはいけない。余計なことをしてはいけない。
・・・という批判と抑圧に、再び自分もがんじがらめになります。
ここはセルフワークをしたりカウンセリングを受けたりしながら、深い部分にあった思いを見たのでニュートラルになりました。すると、今度は逆に言葉の意味が批判なく、そのままの状態で入ってくるようになりました。
そうなると。
『癒されていない人はまずは自分を癒そう』と、ニュアンスが変わり、”携わってはいけない!”とか”まずは自分を癒すべきだ!”という厳しさが抜けます。
クライアントさんにもよくお伝えしていますが
「癒し祭りが始まると大変です。全部の傷を癒しきることはできないし、そうする必要もないんです。」
言っている癖に自分には忘れる、というありがちなパターンです。笑 でも、こんな思いを持ちつつ、同時進行を自分に許せているのは
(少し批判する声もありますが)、
「癒しはクライアントさんのもの。本人の中にあるヘルシーさ(健康・健全・生命力)が力を持っていること。」
を知っているからです。
前はどこかで「私が、癒さなければ」と思っていました。(今も顔をのぞかせることもあります。)また一方で「セラピーやカウンセリングは、実は余計なことをしているのでは?」とう咎める思いもありました。
でも。
どれも、思いです。必要ないと思う方もいれば、必要としている方もいる。
「セラピーは余計なホコリを出すだけ。人は最初から癒されている。完璧な存在だから、どんなに苦しくても、本当は救われている。大丈夫。癒しは必要ないんだ。」
という意見もあれば
「セラピーで助かった。心が楽になった!ある程度のサポートがあると楽。心の土台を作るには頼ることも大事!頼れるのも、勇気。」
という意見もあります。どちらも100%、そうなのだと思います。
これがどちらかが「正解」でどちらかが「不正解」の判断になると良いワルイになってきますが、どちらでもご本人が選べばいいし、どれを選んでも正解で間違いはないんだ、ということです。
自分の中にある両方のセラピストエゴを見てからは、「セッションを受けても、受けなくても、良い。選ぶのはクライアントさん。供給するから需要(苦しみ)が出てくるのじゃない。必要な方には受けていただければよい。いずれ必要としなくなる。そして、私も『正しくある必要はない。正しさってないよな~』。」
という感じになりました。
「お役に立てたら」という思いと「私がするんだ!しなければ!」という使命感や承認欲求とのバランスは微妙なところですが、これはある程度はしょうがないんじゃないかな、とも思います。
「してはいけない!」という禁止の思い、厳しい思いで接するより、「セッションが好き、楽しい♪」というハートの声を聴きながらセッションに向かいたい。何より、自分に厳しいのはもうたくさん!改めて、
『セラピストは正論を言うものだ。余計なことをするべきではない。』
という正しさにがんじがらめだったなぁ、と思ったのでした。(ツッコミどころ満載です。セラピストは正論を言うものなの?アドバイス屋さんなの?正論て?などなど。)アタマでは違うとわかっていても、無意識レベルでの思い込みの強さとジャッジの早さといったら!
これを書いている私自身も日々変化をしていますが、書いていることは変わっても、「軽やかに 楽しいほうへ」向かっています。
自分を否定する声、自信がなくなる瞬間もありますが、それも過ぎては消えていく波。もっと、肩の力を抜いていいね、と肩に力を入れて
書いていた私に伝えたのでした^^
一生懸命に書いた私!
肩の力を抜きたい方、抜き方がわからない方、自分に厳しい方、ぜひお越しください。私も筋金入りだったので証明できます^^
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