
以前、ある新聞の人生相談のようなコーナーに『20代女性 転職多い自分に失望』というご相談が掲載されていました。その内容は下記のようなものでした。新聞に掲載されているままに載せます。
『介護職の20代女性。転職回数が多く、自分の職歴にコンプレックスを感じています。高校卒業後に働き始め、今まで介護職以外にを含めて5回以上転職しています。
それぞれ退職した理由はあるのですが、結局は自分に甘く、忍耐力がないことが原因だと思っています。
社会人として責任感に欠けており、自分は社会人として今後、生きていけないのではないかと思うようになりました。仕事をすることは好きなはずなのに、続けていられない自分に失望しています。
また何かあれば転職してしまうのでは、と考え始めると怖くなります。でも働かないと家賃が払えなくなり、周囲に迷惑をかけてしまいます。頑張りたい気持ちはあるのですが、気持ちが空回りしてしまいます。
どうすれば同じところで働き続けることができるでしょうか。東京・R子
全く同じとは言わなくても、近いケースのご相談もたくさん伺います。
ここでは、相談者の書いている問題をそのまま問題としてどうにか解決していく。という従来の悩み相談ではなく、
「問題とみえていることの事実は何か。」
ということ。そして、
「なぜ、その人にとって問題になっているのか。」
ということを書いてみたいと思います。
◇
R子さんはご自分のことを
>社会人として責任感に欠けており、自分は社会人として今後、生きていけないのではないか
と、思われているとのことですが、果たして責任感のない方が、そもそも転職のことで悩むでしょうか。家賃が払えなくなって、周囲に迷惑をかけてしまう。と心配するでしょうか。R子さんは十分に今のご自分の状況に目を向け、どうすればよいのだろう。と対応されようとしています。このような方が、責任感がない。というのは本当でしょうか(^^)
ここで「R子さんが責任感があるのかないのか」は本当のポイントではないので先に進みますが、この「自分に対する誤解の思い」が苦しみを生むということもとても多くあります。
セッションでは、ご本人の中で事実!(この場合だと「私は責任感がない。」)と思われているその奥にあるものを見ているので、この思いが出てくる背景に進みます。誤解した思い(「私は責任感がない。」)を紐解くときに『事実と解釈はなにか』ということも視点にいれます。
たとえば、
>5回以上の転職
とありますが、この回数をみて多い・少ない、という判断をすることはしません。多い・少ない、はあくまで誰か(もしくは自分)の価値基準です。
ここに、「この年数の間に5回以上転職をするのは責任感に欠けているからだ。」という思い(自分の価値基準での判断と批判)がくっつくとこの行為が「自分に甘く忍耐力がないからこうなるんだ。」となります。
でも見たいのは、事実です。
事実は、
例えば高校卒業がH25年なら
H25~A社で働いた。退職した。
H26~B社で働いた。退職した。
:
H30年 E社にいる。
です。
でも、『責任感に欠けている私』目線でこの流れをみると「自分に甘く忍耐力がないから、こうなるんだ。。。」と『責任感のない私の転職を繰り返すストーリー』が流れ始めます。いえいえ。ここでは事実に戻りたい!
事実はいつもニュートラルです。でも、その事実に何らかの自分の解説が入ると途端に自分の解釈を通した物語が展開され始めます。ここが苦しみの一歩目ですね。
さらに、その物語は自分責め、他人批判、社会批判もついてくるので気持ちよいわけがありませんよね。ですので、まずは『事実は、なに?』をみます。
その上で、転職をしたくなるとき、
・そこにいる自分はどんな風に職場をみていて、そこにどんな自分がいるように感じているのか?
・周りの人達はどんな風に見えていて、それに対しての自分はどんな風に存在している感じか?
などをみてみます。(ここで、マンガのように場面を書いてみてもいいかもしれません。)
自分を通して見ている風景は、自分の解釈を通してみている風景です。同じ職場でも違う同僚、別の上司からみたら、その職場はどう見えるでしょうか。
ここまでが、
「自分の中のどんなフィルター(解釈)を通して職場、もしくは”働くということ”をみているのか」、という事実と解釈をわけてみてみること。
ということについてでした。
もう一つ。悩みをみるときのポイントですが、R子さんは
>どうすれば同じところで働き続けることができるでしょうか。
と書かれていますが、本当に悩んでいるのはここでしょうか。改めて見ていきたいこと。そして悩みの解決ポイントは
「どうすれば同じところで働き続けることができるのか。」
ではない、ということです。
書かれている内容で、本当は何が一番つらいのか。何があるから、転職をするのか。深くにある本当の思いは実際にお話しを伺いながらでないと難しいところですが、少なくとも、自分で自分に思っている
>忍耐力がない、責任感に欠けている
>続けられない自分に失望
この思い自体もおつらいかと思います。この自分責めの気持ちもねぎらいながら、「どんな自分がこの物語を走らせているのか」事実(H25にA社、など)を思い出しながら、映写機にどんなフィルムがあるのかをみていきたいところです。
何か苦しみが走るとき。私たちは事実から離れ、自分の映写機を通して世界をみています。そこに流れているのは自分を責める字幕。相手を批判する字幕。世界をバッシングする字幕。
その物語の中で、自分はどんな役割をしているのか。どんな自分だから、その役になっているのか。
今の悩み=事実。という視点から、
「どんなフィルターを通して現状(会社・相手・自分)を見ているのかな?
どんな思いがあって、この苦しみが生まれているのかな?」
という視点。自分が見ている世界と誰かが見ている世界は全く別のものです。同じ世界に生きていながら、それぞれ違う意識で過ごしています。(良いワルイということではなく。)
どんな自分が、どんな場所で過ごしているのか。その「自分の中に走っているイメージ」をみたいのです。でも、それは”つけているのを忘れているコンタクトレンズ”のようなものなので最初は見つけにくいかもしれません。
良い意味で、自分の自分に対する批判を疑うこと。ニュートラルな現実に戻ってみること。そうしたクリアな現実はシンプルで優しいものでしょう(^^)
どうぞ、「自分の自分に対する思いは、”自分の持っているイメージ”。」という視点。ぜひご覧になってみてくださいね。
本当のあなたは言葉でくくれない、自由で豊かで美しい動きなのだから♪
最後に!
アルコール中毒や依存症も「どうすればやめられるか。」は本質的な解決ではありません。「なぜ、その行為をするのか。」その動機、そして衝動を生み出す内側の思いをただ、解いていきます。罰せられる人、弱い人、わるい人はいません。依存症の回復は精神論や根性論ではないということです。
(※人の心はとても多様なので、問題や悩みをほどいていくときには上記のような方法だけではありません。今回は一例として載せました。)