~セッションへのご質問とお返事~
ある方から
◯インナーチャイルドのセッションを探している。
◯でも『自分の本心をつかんだり感じたりすること』ができない。
◯それでもセッションはできるのか。
◯オンラインは可能か。
というご質問をいただきました。
今の状況やこれまでのご自分をとても正直に見ておられ、また、ご質問の内容そのものも「ポイントあります♪」ということが多かったので、ご了承をいただきブログにてお返事させていただくことになりました。
「セッションを受けたいけど、こんな状態で大丈夫?」
「うまくいくのかな、ちゃんとできるのかな?」
「今までに失敗したり、イヤな思いをしたことがあるのだけど。。」
というとき。セッションへの不安が出てくるのも自然ですよね^^
お返事を書く前にまずはAさんが送ってくださったご質問を紹介しますね。
『インナーチャイルドのセッションを探しております。(☆1)
自分の内側に繋がりたいのですが、
自分との対話が全くできません。
自分が何を感じ、何を思っているのか、何が苦しいのか
わからずに本心がつかめません。(☆2)
セッションでは、「どんな気持ちですか?」とか
「何を感じますか?」などとお聞きになるのかなと思うのですが、
自分の内側と繋がれないので、何か言わなくてはいけないので
適当に答えたことが何度もあります。(☆3)
また、遠方のためまずは
オンラインを考えております。(☆4)
このような状態なのですが、セッションで
本当に自分の声を聞くことは可能でしょうか。(☆5)
また、オンラインでも効果は変わらないでしょうか。(☆6)
なかなか集中できないタイプで、感情が入らず
オンラインで失敗した経験があります。(☆7)』
(☆は順にお答えするため、私が付け加えました。)
Aさん ありがとうございます。
☆1)
まず、こちらではインナーチャイルドへのセッションをしております。
最初からインナーチャイルドに話しかける、とことはせず、ある程度、お悩みの本質を絞ってから結果的にインナーチャイルドワークになる、ということが多いです。
☆2)
このインナーチャイルドの声を聴く。というときに必然的に心の声(自分の内側の声、潜在意識の声、とも言えます。)に耳を傾けていくことになります。
これが「自分とつながる、」とか、「対話をする」「ハートの声を聴く」という部分ですね^^でも、この「自分の本心を知る。」ことがなかなかできない(わからない)ときがあります。なぜか。
それは主に4つの理由があるといえるでしょう。
本心がわからない理由1)
潜在意識にしまわれているから。
つまり、潜在意識にしまうぐらい、顕在化させたくない(みたくない)思いだからです。
自覚的にでも無自覚にでも、「もうこんな思いしたくない!」「こんな感情、味わいたくない!」と思う出来事ほど、それを忘れようとしたり気持ちを切り替えようとしたり”そのまま”にせず、感じないよう意識の深くへしまいます。(抑圧、と言います。)
この抑圧自体はワルイことではなく、心のもつ自然なしくみであり、自分を守る手段でもあります。そのような訳で、そもそも見たくないものだから見えない(感じにくい・感じられない)のも当然かもしれません。
ではどうすればよいのか、というとき。まずはこの「内側の声を聴こうとするけど聴けない。」こと自体をテーマにして、セッションやインナーチャイルドを受けるときの、心の奥にある気づかない抵抗感などを理解していきます。
本心がわからない理由2)
シンプルに「感じる・本心を聴く」ということに慣れていない。その感覚をたんに知らない。というときもあります。
セラピストからみると十分感じられたり、声を拾っていらっしゃるときでも、御本人が「こんなものかな。。ちゃんとできているのかな。。」という思いが強い場合、「私はわかっているか微妙。できていないかも。」とおっしゃることもあります。
案外「なんとなく」とかでも大丈夫なものです。
セラピーやセッションは「適当さ、ゆるさ」のあそびの中から心が声を出し始めることもありますよ^^
本心がわからない理由3)
本当はできているけど自分の思っていた感じ方(イメージ)と違うとき。
自分の中に『癒やしや解放のイメージ』『感じるとはこういうことだ』というイメージが強い場合、それに当てはまらないと「私はできているのかな。。」と考えてしまうこともあるでしょう。ここでも「なんとなく」でも十分です。まずはセッションや感じる、ということ自体に慣れる、というのも一つかもしれません。
本心がわからない理由4)
自分の本心に触れてこなかった。自分で聴く機会を持てなかった(持たなかった)。
ということもあるかもしれません。なぜそうなるか?
たとえば小さな頃。自分の本音を言ってすごく怒られたり、気づいた経験があったとしたら。そして、それが一度ではなく何度も、繰り返されたら。
その子は自分の気持を誰かに話す、ということを積極的にするでしょうか。何回も悲しい思いをしたのに、それでも「聞いて、あのね。」するでしょうか。
また、怒られる、傷つけられるとまで行かなくても「ちょっと待ってて。またあとでね。」とか「そんなこと考えたらだめ。それは間違っている。こういうのが正しいこと。」など、聴かれる機会がなかった。または、自分で思ったり考えたり発表する機会がなかったら。「私はこう思うんだ。」ということは言いやすいでしょうか。
これは周りが聞く耳をもたない冷たい大人、だめな大人、ということではなく、その人達も振る舞いを知らなかったり、接し方を知らなかったりすることもあります。つまり、自分が知っていることを、そのまましているだけ。その人達もやはりそういうふうに育ち、自分にそのように接してきたのです。
ここで誰のせい、誰がわるい、誰かの性格のせい、と言えないことがみえてきます。(家族の連鎖、境界線の話になるので、別の機会にゆずります!)
…という訳で、まずは「感じられない。」「わからない。」というときには
・感じることへの抵抗はないかな?
・本心を知る、と思うと体はどう反応するかな?
・癒やしや感じる、解放などへのイメージはある?
(正しさや正解は、ない♪人それぞれです^^)
・自分の声を聴く、ということに徐々に慣れてみる
という、地ならしのようなセッションをするのも一つと言えます。もちろん、これは強制ではありませんが初回のときに、ここから始まるという方もたくさんいらっしゃいます。
☆1)と☆2)のお返事だけでもこんなボリュームになってしまいました!!でも、それだけ大切なこと。すばらしいご質問をありがとうございます。何回かにわけて書きますね。